故・アントニオ猪木さんに並ぶ日本の有名プロレスラーまとめ

2022年10月1日、元プロレスラーのアントニオ猪木さんが病気で死去されました。享年79歳。以前より難病「心アミロイドーシス」を患っており、それを原因とする心不全でした。

歴史ある日本プロレス界で、たくさんの功績を残したアントニオ猪木さん。1998年の引退試合におけるスピーチで朗読した「この道をゆけばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ、行けばわかるさ。」という詩は、沢山の人に勇気を与えましたよね。

今回は、そのアントニオ猪木さんに並ぶ日本の有名プロレスラーをまとめました。

プロレス黄金時代を作った7人のレスラーたち

力道山

日本プロレス界の父といえば「力道山」でしょう。大相撲力士として活躍し、関脇まで昇進しましたが、プロレスに転向。アメリカで修業後、1953年に日本プロレスを設立しました。

空手チョップで外国人レスラーを倒す姿は、戦後の日本を勇気づけました。アントニオ猪木やジャイアント馬場を育てた、日本プロレス界の父といえる偉大な存在です。

ジャイアント馬場

ジャイアント馬場は、身長が2メートルを超え「東洋の巨人」と呼ばれました。

元プロ野球選手でしたが、病気やケガが元で野球を断念。1960年に第二の人生として、憧れの力道山が率いる日本プロレスに入門しました。その後は、力道山とのコンビを経て、日本プロレス界のヒーローとして親しまれる存在となりました。身長や大きな足を生かした技は威力的で、「16文キック」「32文ロケット砲」と呼ばれるドロップキックが話題を呼びました。

1972年には、全日本プロレスを設立します。

ジャンボ鶴田

大学時代にバスケットボールからアマチュアレスリングに転向し、ミュンヘン五輪にも出場した実績を持つ、ジャンボ鶴田。

1972年にジャイアント馬場を慕い、全日本プロレスに入門。師匠・ジャイアント馬場との子弟タッグも話題を呼びました。

初代タイガーマスク(佐山聡)

1975年に新日本プロレスに入門し、海外で修業後、1981年に覆面レスラー「タイガーマスク」として帰国します。ダイナマイト・キッドとのデビュー戦は大注目されました。

四次元殺法と呼ばれる空中殺法は、これまでのプロレスの常識を変え、空前のプロレスブームを巻き起こしました。

天龍源一郎

天龍源一郎は、13歳で大相撲部屋に入門しますが、1976年にプロレスに転向し全日本プロレスに入団します。その後はアメリカで修業し、デビュー。1984年にはリッキースティムボートを破り、UNヘビー級王座を初戴冠。

ジャンボ鶴田とのタッグ、鶴龍コンビで活躍しました。またジャイアント馬場、アントニオ猪木の双方からピンフォール勝ちしたことのある日本人レスラーはこの天龍のみです。

藤波辰巳(現・辰爾)

1970年、16歳で日本プロレスに入門し、1971年にデビューした、藤波辰巳。

アントニオ猪木に憧れ、同郷出身の北沢幹之を訪ね、入門を志願。巡業先の下関にて無理やり日本プロレス一行に押しかけ入門したそうです。アントニオ猪木と共に新日本プロレスの設立にも携わりました。

以来、国内外で名勝負を重ね、「ドラゴン」の異名で日本のプロレス黄金期を支えた中心の人でもあります。

長州力

大学時代にレスリングで活躍し、ミュンヘンオリンピックにも出場した長州力。1974年、アントニオ猪木率いる新日本プロレスにてデビュー。デビュー当時は、本名「吉田光雄」でしたが、のちに「長州力」に改名しました。

1982年から始まった藤波との抗争は「名勝負数え歌」と称され、プロレスブームに一役買いました。

平成のプロレスを牽引した「闘魂三銃士」

1990年代に入るとジャイアント馬場、アントニオ猪木が第一線を退き、世代交代が始まります。

中でも、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也は「闘魂三銃士」と呼ばれ、1990年代のプロレス界に一大ムーブメントを巻き起こしました。

武藤敬司

1984年に新日本プロレスに入門し「日本マット界の至宝」と称される、武藤敬司。海外修行時代はグレート・ムタとして活躍し人気を得ました。「プロレスLOVE」をスローガンに、決めポーズは「プロレスLOVEポーズ」と呼ばれています。

蝶野正洋

1984年新日本プロレスに入門し、同年プロデビューを果たした、蝶野正洋。海外遠征を経て、帰国後はG1クライマックスにおいてV5を達成し、第75代NWAヘビー級王座を奪取しています。

橋本真也

柔道からプロレスに転向し、1984年新日本プロレス入門した、橋本真也。破壊王の愛称で知られており、スーパーヘビー級の体重から出されるキックは「爆殺シューター」との異名を取るほどの強烈な威力がありました。

平成のプロレスを牽引した「全日本プロレス四天王」

また三沢光晴、田上明、小橋健太、川田利明は「全日本プロレス四天王」と呼ばれ、迫力のあるプロレスを展開し、人気を博しました。

三沢光晴

三沢光晴は、学生時代にアマチュアレスリングにて、国体に出場し優勝経験を持っています。高校卒業後は全日本プロレスに入門。早くから頭角を現し、全日本プロレスの全ての王座を獲得したことで有名です。

川田利明

1982年に全日本プロレスに入団後、「名勝負製造機」とも呼ばれた川田利明。デビュー以来、引き分け挟む208連敗を乗り越え、トップまで上り詰めた苦労人として有名です。

田上明

田上明は、大相撲からプロレスに転向し、全日本プロレスに入門。ジャンボ鶴田とのコンビで、才能を開花し、エース級の活躍をするまでに成長しました。

小橋健太

小橋健太は1988年のプロレスデビュー後、すぐに頭角を現し、スター街道を駆け上がりました。数々のタイトルを取得し「絶対王者」と呼ばれる存在になりました。

まとめ

プロレス黄金時代と言われる1970~90年代を飾った偉人レスラーたちをご紹介しました。気になるプロレスラーはいましたか。現在もファンが多いプロレス。この機会にぜひ観戦してみてはいかがでしょうか。